在日クルド人ヘイト問題で奔走「訴訟を通して社会変えたい」 埼玉南部出身、金英功弁護士の原点
埼玉県川口市や蕨市に集住するクルド人に対する「ヘイトスピーチ」が相次ぐ中、さいたま地裁は昨年11月21日、日本クルド文化協会(川口市)周辺でのデモや街頭宣伝などを禁止する仮処分を決定した。
この時点までに10カ月にわたってデモは繰り返されていた。神奈川県の男性が代表をつとめる団体がデモ実施を予告したことを受けて、裁判所に仮処分を申し立てたのが、クルドヘイト対策弁護団に名を連ねる金英功(キム・ヨンゴン)弁護士だ。
蕨市出身で、大学進学まで近辺で育った。地域に密着した仕事ができればと考えて、3年前、蕨市で法律事務所を開設した。だが、幼少期も、事務所を開設した当初も、地元でクルドの人たちの言動を意識することはなかったという。
「在日という立場に生きることの難しさを感じていた時期もありました」
穏やかな口調でそう話す金さんは、蕨市・川口市でのデモや、SNS上で広がるフェイク情報に基づくヘイトスピーチに法律家としてどう向き合おうとしているのか。クルドヘイト対策弁護団に参加した経緯や弁護士を志した背景を聞いた。(取材・文/塚田恭子)
●大人になるにつれて「日本社会で生きること」の難しさを感じるように
父方は東京、母方は祖父母の代から埼玉県で暮らし、金さん自身も埼玉県南部で生まれ育った。
小学校から大学まで朝鮮学校に通い、今も自分の育ったコミュニティやそのつながりを大切にしているものの、中学、高校と進むにつれ、日本社会で生きることの難しさを感じるようになり、自分らしく生きられるすべを考えた結果、弁護士を志した。
「子どもは小さなコミュニティで生きていますが、年を重ね、外の社会に目が向き始めると、朝鮮学校ってどういう学校なのか、在日朝鮮人ってどういう立場なのか、日本社会と対比しながら考える機会が増えていって。
自分の生きづらさ、具体的にいえば、法的地位の不安定さや保障されていない面を感じながら過ごしてきました。
地位は法律によって定められるもので、地位が変わるためには法律が変わらなければなりません。ただ、外国籍者には参政権がなく、法律の制定に関わるには限界があります。
そんな中、訴訟を通じて社会の制度を変えられるのではないかという思いから、弁護士を目指しました」
●勉強仲間がいたこともモチベーション向上につながった
内部の試験はあるものの、金さんによると、朝鮮学校はエスカレーター式に進級できるという。いわゆる高校・大学受験を経験してこなかった金さんにとって、ロースクール入試と司法試験は初めての本格的な受験だった。
「弁護士を目指すと決めて、まずは勉強方法の勉強から始めました。大学の講義はどう受けて、ノートはどうまとめればよいか。試験では要所要所で求められる知識の内容や質が決まっているので、メリハリをつけて勉強するなど、受験経験者にとって当たり前のことも、このとき初めて知りました」
金さんが通った朝鮮大学校は全寮制で、学生は校内と寮で昼夜、顔を合わせる。弁護士を目指す仲間がいたことも、司法試験へのモチベーションの向上につながった。
「上や下の学年にも弁護士を目指す仲間がいたんです。寮で他の人が頑張っている姿を見ればモチベーションは上がるし、一人で勉強しているより集中力も続きます。テキストを融通し合うなど役立つ部分は多かったと思います」
司法試験合格後、静岡で司法修習を受けた。印象に残っているのは、昨秋、逮捕から58年を経て無罪が確定した袴田巖さんの再審決定の場に居合わせたことだった。
「たしか検察修習の最後の日、(静岡地検の)となりの静岡地裁で袴田事件の再審決定が出たんです。担当事件の処理など、やることは残っていたのですが、検察内部は対応に追われていました。
その翌週から静岡地裁刑事部で修習があったのですが、ちょうど再審開始決定を出した部に配属されて。再審開始と釈放を認めた村山浩昭裁判長の話を聞けたことは、貴重な体験でした」
●蕨市で「唯一」となる法律事務所を開いた
司法修習修了後、縁あってさいたま市浦和区の法律事務所に入所した。
「理想を持って弁護士になったので、それを実践できる事務所に入りたいと思いつつ、地元の埼玉、大学やロースクールで過ごした東京西部、司法修習で滞在した静岡など、どこで就職するかを含めていろいろ迷っていたんです。当時、埼玉弁護士会の会長を務めていた大倉浩先生に声をかけていただいたのはそんな時期でした」
埼玉弁護士会は、韓国の仁川弁護士会と姉妹提携を結んでいて、両会は1年おきに韓国と日本を訪問し合っている。この交流会の通訳を思わぬかたちで依頼されたことが、大倉弁護士と金さんをつないだ。
「もともと通訳をしていた先輩は朝鮮籍で、当時、韓国に入国できなかったことから、韓国籍の私に通訳の話が回って来たんです。司法試験に合格し、修習が始まる前だったので、通訳として交流会に参加し、初めて韓国に行きました。
修習を終える間際におこなわれた翌年の交流会は、埼玉の川越市で開催され、このときも通訳として大倉先生といろいろ話している中で、先生の事務所にお世話になることになりました」
一般民事事件を幅広く扱う事務所に勤務した7年間、偏りなく、さまざまな事件に関わることで、弁護士としての経験を積んだ。
「良かったのは、弁護士会の活動をはじめ、自分が関わりたい活動をやらせてもらえたことです。集会の開催、意見書の提案など、弁護士会の活動は人権や社会正義のためにおこなう公益活動です。
忙しくなるうえ、無償なので、敬遠する人もいますし、所属弁護士が仕事よりも公益活動に熱心だと事務所は困ってしまいます。
でも、大倉先生はご自身もこうした活動に積極的な方で、仕事をきちんとしたうえで、公益活動や個人案件を受けることに寛容でした」
もともとビジネスローヤー志向はなく、生活の困りごとなど、個人の問題を解決する地域に密着した活動をイメージしていた金さんは、独立・開業するにあたって、2つの選択肢を考えていた。
「1つは裁判所があり、法律事務所の多い浦和です。ただ、自分が生まれ育った蕨市に弁護士がいないことを知り、それなら蕨市で開業するのはどうかと。蕨市は住民における在留外国人の比率が1割以上と高いので、外国の方が困ったときに頼ってもらえたらという気持ちもありました」
●2023年夏、ヘイトは突如始まった
金さんは生まれてから大学校に入るまで、そして弁護士として働き出してからも埼玉県南部に暮らし、2022年に蕨市で法律事務所を開業している。だが、学生時代も開業当時も、生活上、クルド人に関する問題を感じることはなかったという。
「雑誌などで、クルディスタン(クルド人が居住する中東の地域)をもじって『ワラビスタン』と書かれていても、体感としてクルドの人が多いと思うことはありませんでした。変化が生じたのは、2023年6月ごろからですが、SNSをまったくやらない私はその時点でも状況をきちんと把握してはいませんでした」
では、クルド人に対する「ヘイト」がどう始まったのか。金さんはその経緯をこう整理する。
「改正入管法審議中の2023年5月、クルドの人が参考人として呼ばれ、自分たちの状況を伝えました。翌6月には川口市議が『一部外国人による犯罪取り締まりを強化する』という意見書を提出しました。
その約1週間後に市内の病院で生じた仲間内のトラブルを産経新聞が報じます。こうした段階を経て、レイシストによるヘイトデモやSNS上での誹謗中傷がエスカレートしていきました」
金さんは2024年6月、長年ヘイトスピーチ問題に取り組む師岡康子弁護士から「JR蕨駅周辺でヘイトデモがおこなわれているので、手を貸してほしい」と打診された。
「師岡弁護士から聞いたヘイトデモやSNS上の話は本当にひどいもので、蕨市で弁護士をしている自分がやらずにどうする、と。そんな気持ちでこの件に関わるようになりました」
2024年9月には、有志の弁護士10人以上と一緒に支援団体『在日クルド人と共に』と『日本クルド文化協会』に足を運び、「ヘイトスピーチ」が日常にどんな影響を及ぼしているか、聞き取りをおこなった。
「デモだけでなく、ネット上の誹謗中傷や違法行為も、何とかしなければなりません。翌日には弁護団を結成して、どういう方向で動くかを検討しました」
弁護団は、SNS上の誹謗中傷について、投稿者を特定するために発信者の情報開示手続きと損害賠償を進め、デモを阻止するために仮処分を裁判所に申し立てた。
「それまでにも朝鮮学校に対するヘイト街宣に対応していたので、仮処分の申し立ては、私が担当しました。裁判所はデモ禁止の仮処分を認めるうえで、デモがおおむねおこなわれるだろうという蓋然性を重視します。
デモはその時点で月に1度、おこなわれていて、彼らが(デモを)することは明らかでしたが、予告があれば蓋然性は高くなるので、支援者の方たちと相手の動きを注視していました」
11月24日にデモを実施するという予告を知った弁護団は、すぐに仮処分を申し立て、さいたま地裁は3日前の21日、デモ禁止の仮処分を決定した。
蕨駅周辺でデモをしていたのは、それまで川崎市で在日朝鮮人に対する街宣をしていたグループだ。川崎市が2020年7月に全国で初めて刑事罰を伴うヘイトスピーチ禁止条例を施行したことから、彼らは新たにクルド人を標的に活動を始めていた。
「デモ禁止の仮処分決定は画期的で、報道関係者の関心も高かったので、記者会見をおこないました。そこで私の名前を知ったレイシストが事務所のサイトを見たのでしょう。在日ということだけを理由に、SNS上で私を誹謗中傷する投稿が増えて、事務所にもおかしな電話がかかってきました」
前述の通り、金さん自身はSNSを一切やっていない。にもかかわらず、偽アカウントがつくられ、差別的な投稿がされたという。
「直接、危害を加えられることはないにしても、弁護士として何も間違ったことはしていないのに、外国籍というだけで批判されるのはおかしなことです。こうした攻撃もどうにかしなければと、今、仲間の弁護士が私に対するネット上の誹謗中傷について訴訟を起こしています」
日本では、2009年の京都朝鮮学校襲撃事件をきっかけに、それまで放置されていたヘイトスピーチ問題について議論が始まった。この問題を考えるときに避けて通れないのが、憲法が保障する「表現の自由」だという。
「『表現の自由』は人権の中核をなす最も大事な人権で、内容や方法に規制をかける場合、最小限にする必要がある。法律家を目指す学生は、憲法の授業でまずそう学びます。
へイトスピーチは表現の内容に対する規制だという解釈から、当時は、学者や研究者も規制することに抑制的な人が多かったようです。
ただ、その後もヘイトスピーチを止められない状況が続いたため、最小限であることを前提に内容規制は必要という議論が進んでいます。
日弁連が2023年4月に出した『人種等を理由とする差別的言動を禁止する法律の制定を求める意見書』も、規制についてかなり明確かつ限定的に記しています」
●クリックを稼ぐための情報が「現実世界」に蔓延する
京都朝鮮学校襲撃事件が起きた2009年、朝鮮大学校に在籍していた金さんは、ヘイトスピーチを向けられた当事者でもある。だからこそ、人種や国籍が違っても外国人全般にわたるこの問題を放っておくわけにはいかないと話す。
「特定の人種や民族に対して取り締まりを強化するという意見書を自治体が出したことが、一部の人の差別意識を助長した面はあると思います。
行政の態度を受けて、初めはごく一部の人によるものだったSNS上の誹謗中傷が再生・拡散される。
そして、クリックを稼ぐためだけの虚偽情報を実際に起きていることと思い込んでしまう。SNS上のヘイトが現実世界に蔓延していくことは深刻な問題です」
住居侵入や業務妨害、肖像権侵害、子どもへのいじめなど、誹謗中傷によってクルドの人たちは実害を受けている。こうした状況を見かねて、このままヘイトを許してはいけないと結成された弁護団には83人の弁護士が名を連ねた。
「ヘイトを見過ごしてはいけないと、多くの弁護士が賛同しているのは、これが誰にでもふりかかるかもしれない、社会全体の問題だからです」
4月23日に1回目の期日を迎える裁判への関心は高い。裁判所が「正しい判断」を下し、ヘイトスピーチは許されないという空気が醸成されれば、川崎市以外の自治体や国にも、誰もが差別を受けない社会づくりに向けた動きに弾みがつくのではないか。
「弁護士にしかできない訴訟を通じて、社会を変えていくことができればと思っています」
【取材協力弁護士】
金 英功(きむ・よんごん)弁護士
1988年埼玉県生まれ。朝鮮大学校、成蹊大学法科大学院を経て、2015年弁護士登録。埼玉弁護士会人権擁護委員会の副委員長、在日本朝鮮人人権協会とNPO法人ウリハッキョで理事をつとめる。わらび中央法律事務所代表。
事務所名:わらび中央法律事務所
